3日は、岐阜教区の布教使研修。大阪の野村さんにお越しいただきました。

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3日は、岐阜別院にて、布教使研修会へ。
快晴の中、親鸞聖人がお迎え下さいました。

主催は岐阜教区布教団ですが、
現場で布教に携わる、僧侶、住職をはじめ、いろいろな方に参加をしていただきたく、広く呼びかけました。
それでも、参加者は20名。
もう少し、多くの方にお越しいただけると嬉しいんですけどね。(^_^;)

今回のご講師は、大阪から野村康治さんにお越しいただきました。
テーマは、
「念仏者の生き方」〜布教の心得を学ぶ〜
として、お話をいただきました。

ご親教の冒頭にある「仏法」という言葉を手がかりに、
本来の漢字である「佛灋」という文字に込められた意味を通して、
世間法ではなく、普遍的真理としての灋をよりどころとすることのありようを語っていただきました。
私自身が「あたりまえ」と思い込んでいることが、実はごく最近に世間に浸透した考え方であったり、
かつて共有されていた大切な価値観が、法律改正などを通してひっくり返されてしまったり、
そんな危うい世間のモノサシの中で、本当によりどころとすべきものは何なのか。
そこから、
「たとえ仏さまの真似事といわれようとも、ありのままの真実に教え導かれて、そのように志して生きる人間に育てられるのです。」
という、尊い生き方が開かれてくるのだと仰ってくださいました。
念仏者の生き方って、「こうすべきである」ではなく、「こうせずにはおれない」ということなのですね。

全体会の中では、
「真俗二諦」ということへの受け止めを通して、
自分の生き方として、仏法が本当のよりどころとなっていますか?
自分自身が、衣を着ているときと衣を脱いだときの生き方に、使い分けをしていませんか?
という問いかけをいただいたように思います。
野村さんは、大阪から岐阜へお越し下さるのに、最初から白衣・布袍で来られました。
会場に到着してから着替えられるのではなく、最初から衣を着たままで来られ、衣を着たままで帰られたのです。
はたして、私はどうか。
平服で会場へ到着し、研修の間は布袍を着用しているけれども、終了と共に布袍を脱いで平服に戻っていく。
それが、自分の生き方の使い分けになっていないだろうか? そんな問いをいただきながら、帰途につきました。

ちなみに、開始前のお昼ごはんは、天下一品。
ここに、お衣で入るのは、勇気が要るんです。
ホントは、食事であろうがなんであろうが、お衣で入っていいんでしょうけどね。(^_^;)

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