「飛騨と親鸞聖人」展示会へ。翌日は東陽組れんけんへ。

8日は、北方の西順寺坊守(前住職)、三浦真智さんが高山へ。
今回の目的は、高山別院と街の博物館で開催されている、「飛騨と親鸞聖人」展示会です。
私もお昼に時間をあけて、、三浦さんとご一緒しました。
飛騨地方に真宗が根付いていった歴史の一端を、じっくりと鑑賞しました。

中でも特筆すべき展示は、親鸞聖人のご遺骨が納められていたという、多宝塔ですね。
えらく金ピカに輝いているなと思ったら、今回の法要のために金箔を張り替えているとのこと。
そりゃ、金閣寺みたいにピカピカになりますよね。
とても興味深く拝見させていただきました。

9日は、午後から関市へ。
東陽組のれんけん、日野安晃さんが住職をしておられる、光円寺さんが会場となります。
久しぶりに境内にお邪魔しました。
来年には、本堂の建て直しが予定されているとのことですので、この本堂は見納めになるかも知れませんね。(^_^;)

今回の話し合い法座のテーマは、問いの5「お浄土とは」。
親しい方とのお別れを通して、先立った方、そして自分自身のいのちの行き先について話し合いました。
自分が死んでから先という未来の話ではなく、今の自分の足もとを支えて下さるはたらきについても語っていただく中で、参加者のホンネもお聞かせいただきました。
「全てのいのちを救う」とは、悪いことをした人も救われるのだろうか。だとしたら、悪いことをしても良いのだろうか。
「信心が大切」とは、私が信じることで救われるのだろうか。一生懸命信じたいが、まだ信じ切れない自分がここにいる。
そのようなご意見をもとに、最後のまとめのお話をいたしました。

ある秋の頃、いつもキレイなキャンパスで勉強することができる学生さんに、先生が問いました。
このキャンパスに、たくさんの木が立っているのに、皆さんがやって来るときには落ち葉がキレイになくなっているのはなぜか知っていますか?
清掃員の方が、早朝から隅々まで掃除をして下さっているおかげで、私たちは落ち葉を踏むことなく構内を歩くことができるのですね。
そのことを知ったとして、「どうせ掃除してくれるのだから、ゴミを落としても構わないのだ」という生き方をしようと思いますか?
そうではなく、清掃員の方に「ありがとう」という感謝の心を持って、できるだけゴミを落とさないような生き方をしたいと思うのではありませんか?
それが、報恩感謝という生き方へと繋がっていくのです。
「全てのいのちを救う」という願いを聞かせていただいて、「悪いことをしても良いのだ」と受け止めるのは、私の受け止め間違いなのです。
「ありがとうございます」という思いの中で、そのお慈悲にかなう生き方をめざしていきたいという、私の生きる方向が定められていくのです。
そんなことをお話ししました。

こうして、話し合い、聞き合い、頷き合う中で、今まで自分の中にあった漠然とした疑問が、言葉となって表現されるのは素晴らしいことですね。
蓮如上人が「談合せよ」(腹を割って話し合いをしなさい)と仰られたのは、そういうことなのだと思います。

(40)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です