2004(H16)年以前のご法話は、こちらになります。

No.88 法名の名告り(2004年9月30日)

「法名」って何なのでしょう?「帰敬式」って何なのでしょう?

知っているようで、実はよくわからない部分もあるように思います。

その意味を探りながら、帰敬式や法名のお心を聞かせていただきましょう。

No.87 「遊び」と「よろこび」(2004年8月29日)

 ワンちゃんのしつけばかりでなく、子育てでもついつい「上から押さえつけるように」怒鳴ってしまうことがよくあります。

 でも、本当は上手に褒めながら、よろこびの中でお互いが育て合っていくのが、本当の子育てであり、しつけなのだろうと思うのです。

 そのことを、「遊び」というキーワードを通して、あらためて聞かせて頂きます。

No.86 私一人のために(2004年8月1日)

お母さんが、1週間我が家を留守にして、お出かけしました。

のりちかくんの一言を通して、「私一人のための仏法」の意味を聞かせて頂きます。

No.85 キリちゃんが来た!(2004年6月25日)

わが家に、新しい家族が仲間入りしました。ボーダーコリーの「キリちゃん」です。

キリちゃんとのふれあいを通して、動物とわたしたちのいのちの関わり方を聞かせて頂きます。

No.84 逃げる者を追わえ取る 〜摂取不捨の心〜(2004年5月26日)

今年のゴールデンウィークには、家族そろって京都へ旅行にお出かけしました。ただし、単なる遊びではなく、恩師で仲人でもある浅井成海先生の退職記念祝賀会に出席するためです。

私が大学2年生の時にあった、浅井先生のエピソードを紹介しながら、「摂取不捨」のお心を聞かせていただきたいと思います。

No.83 ありがとう!!(2004年3月27日)

 「ありがとう」って言葉は、その意味を知れば知るほど、大変素晴らしい言葉であることに気付かされます。

 養老孟司さんの「バカの壁」を参考にしながら、本当の「ありがとう」の意味を聞かせていただきたいと思います。

No.82 予定の立たない人生(2004年2月22日)

子供たちが夢中になるゲームって、どうしても好きになれません。他人が予定した結末に向かって、ボタンを押し続けるという遊びに、何となく違和感を感じるからです。

でも、自分の人生を考えてみますと、一生懸命に「予定通り」の人生を歩もうとしている私がここにいることに気付かされます。森岡正博さんの「無痛文明論」をヒントに、考えてみたいと思います。

No.81 「願い」に生きる〜永代経ご法話〜(2004年1月30日)

夏になったら、子供たちと一緒にペットを飼おうと約束したところ、家族みんなでペット関係の番組を見るようになりました。その中でも、「ポチたま」という番組は、我が家のお気に入りです。

そんな番組で紹介された、マリリンの一生を通して、私の生き方を見つめてみました。

No.80 葬儀のしおり〜「かたちとこころ」〜(2003年12月27日)

 葬儀ばかりでなく、お墓やお仏壇など、実は多くのことが私たちの「宗教観」をかたちとしてあらわしています。また、「いのちの見方」という意味でも、大変大きな意味を持っていることに気付かされます。

 その「かたち」を通して、大切な「こころ」をあらためて聞かせていただきましょう。

No.79 上棟式〜無碍の一道を歩む〜(2003年11月24日)

「どうか無事に工事が済んで、立派な建物が完成いたしますように。」たいていの場合、私たちは上棟式でそう願いながらお参りすることが多いようです。しかし、そのところでとどまってしまいますと、大切な式典が「私の欲望をかなえるためにお祈りする場所」になってしまいます。

お念仏のみ教えをいただくものにとっての上棟式とはどうあるべきなのか。そこを大切にお聞かせいただきましょう。

No.78 死後の世界〜「考えるな」から「まかせよ」へ〜(2003年10月29日)

「死刑は怖くない」「死ぬことはびびってない」と発言した死刑囚がいました。彼の考え方の根底には、「死んだらおしまい」「死後の世界なんてない」という思いがあるようです。

私たちは、死んだらどうなるのでしょう。お釈迦様や親鸞聖人のお言葉を通してお聞かせいただきます。

No.77 月や太陽を超える光(2003年9月27日)

夜になってから、壊れかけの庫裏を探検した子どもたち。足元が見えず、怖がっていた子どもたちは、二階へ上がったとたんに、元気な足取りになりました。

月明かりに照らされた足元を通して、大切なことを教えていただいたように思います。

No.76 この慈悲始終なし(2003年8月29日)

「今日は、○○さんのご法事ですね。ところで、お亡くなりになった○○さんは、今どこで、何をしておられると思いますか?」

ご法事の席で、そんな質問をされたら、あなたならどうお答えになるでしょうか?

No.75 世界に一つだけの花 〜いのちのかがやき〜(2003年7月22日)

「一人一人違う種を持つ  その花を咲かせることだけに  一生懸命になればいい」


 そんな歌詞を口ずさみながら、「花を咲かせる人生でありたいなあ」と思いながらも、なぜか心の中に引っかかるものを感じていました。

その「引っかかり」を通して、いのちのかがやきについて聞かせていただきます。

No.74 愚かさとは 深い知性と 謙虚さである(法語カレンダー6月の言葉)(2003年6月23日)

「自分の良いところを、五つ挙げてみて下さい。」そう聞かれたら、あなたはすぐに答えられますか?

「いやいや、私には良いところなんて・・・」謙遜と謙虚さは違うかも知れません。

ちょっとお念仏に聞いてみましょう。

No.73 火・水・土・風・・・鳥?(2003年5月26日)

先月、前住職夫婦とご門徒さんで、京都のご本山へ参拝旅行へ出かけました。大谷本廟にもお寄りして、ご縁の方々の納骨をさせていただきました。

さあ、ところで、表題の漢字は、なんのことでしょう?

No.72 地獄を作っているのは誰?(2003年4月22日)

 神通寺子ども会の読書の時間には、いつもベストセラーになる絵本があります。「地獄と極楽」というこの本を読むと、地獄というのは単なる「死後の世界」ではないと気付かされます。

No.71僕の生きる道〜いのちの倶会一処〜(2003年3月24日)

「寒の戻り」で、かみさんが1週間も寝込んでしまいました。家事を手伝いながらも、絶対に欠かさず見ていたドラマがあります。

「僕の生きる道」というドラマを通して、私が感じたことを書かせていただきました。

No.70 「怒り」の先にあるもの(2003年2月24日)

 スキーで子守りをしながら、ついつい「怒り」にまかせ、自分の都合で相手をしかりつける私です。

 「怒り」をエネルギーとして動いている世の中もまた、自分の都合で相手を断罪しようとしているとするならば、悲しい結果を招くことになるのではないでしょうか。

 一人の素晴らしい人格との出逢いを通して、私が感じたことを書かせていただきました。

No.69 仏心とは大慈悲これなり(2003年2月2日)

死に別れることは悲しいことではあるけれども、それだけではなくて、とても大切なことを教えていただいたように思います。そう思えるのは、かつての神通寺報で書いたことに、厳しいお叱りの電話をいただいたことがきっかけでした。

No.68 大ばあちゃん、ありがとう(2002年11月22日)

まるで、枯れ木が朽ちていくような最期でありました。その姿を通して、私はどう仏法を受け止めるのでしょう。私を育ててくださった仏縁の深さを知らされます。

No.67 「ウソ」を照らす「方便」(2002年10月24日)

「ウソ」も「方便」も、真実ではない、という点ではよく似ていますが、決定的に違います。

「ウソ」は、我が身を守るため。「方便」は、真実に導き入れるため。

「方便」を通して、「ウソ」の奥にある、深い悲しみを聞かせていただきます。

No.66 悪人こそが救われる?(2002年9月24日)

「信者を使って、殺人を犯したあの教祖も、阿弥陀様は救ってくださるのですか?」

「お念仏を申せば救われるんじゃない?」 「阿弥陀様に出遇えば、あいつも改心するかもしれないよ」 「いやいや、あいつが救われるのなら、私はそんなお浄土には行きたくないなあ・・・。」

あなたはどう思われますか?

No.65 知らないことは罪じゃない。でも・・・(2002年8月27日)

8月3〜4日に行われた、「飛騨高山2002 全国真宗青年の集い」では、総勢600名の参加者が高山へ集まりました。

そこでご講師としてお話ししてくださった松村智広先生の、なんとパワフルなことでしょう! マシンガンのようなそのお話を通して、私自身の差別問題への取り組みを問い直したいと思います。

No.64 若き今、仏法をたしなめ(2002年7月26日)

「あした聞けばいいや。」「仏法を聞くのは、まだ早いよ。」そういって、今聞こうとしない私に、蓮如上人は厳しく問いかけておられます。

「今、ここで、私が聞かせていただく」仏法であるがゆえに、尊く、素晴らしい。そのみ教えを聞かせていただきましょう。

No.63 良き師との出逢い(2002年6月22日)

ワールドカップが開催されてから、毎日のようにテレビに向かって叫んでいた私です。

「トルシエ・ジャパン」の姿を通して、「良き師」との出逢いについて書かせていただきました。

No.62 厄介をかけて生きる(2002年5月28日)

他人に迷惑をかけることを、飛騨では「厄介をかける」といいます。

厄介をかけて生きている我が身を通して、いのちのつながりに気付かされた私でありました。

No.61 傷つきたくない・傷つけたくない(2002年4月24日)

私の心のど真ん中にあるのは、「傷つきたくない」という思いでありました。その私が、阿弥陀様の「傷つけたくない」という願いを聞かせていただくとき、どのような世界が開かれてくるのでしょうか。

「人を傷つけながら生きていくのは、イヤだなあ」そんな私に育てていただけるのが、お念仏なのだと聞かせていただきます。

No.60 さだまさし『償い』に思う(2002年3月24日)

「人間というのは、悲しいけれども過ちを犯すものなのですね。
 でも、本当に大切なことは、その過ちを犯した後なのです。
 犯してしまった過ちを、どのように引き受けて、自らの生き方としていくのか。
 それが大切ではないでしょうか。」

さだまさしさんが、歌を通して教えてくださった深い人間観を通して、大切なことを聞かせていただきたいと思います。

No.59 100人の世界村(2002年2月25日)

インターネットと電子メールを通して世界中に広がった物語は、やがて一冊の絵本となって出版されました。「もしも世界が100人の村だったら」というこの本を通して、今までの私になかった視点を聞かせていただきました。

No.58 私の永代経(2002年2月9日)

「うちのじいちゃんは幸せ者やなあ。」そう語ってくださったおばあちゃんから、私はとても大切なお念仏の心をお聞かせいただきました。永代経法要をおつとめさせていただきながら、私にとっての永代経のお心を書かせていただきます。

No.57 飛騨高山と「三方よし」(2001年11月27日)

 観光都市、飛騨高山。そこには、お店の人の笑顔、お客さんの笑顔、そして地元の人たちの笑顔があります。

 「三方よし」という近江商人の精神を通して、蓮如上人の「仏法を主(あるじ)とせよ」というお心を聞かせていただきます。

No.56 狂牛病と私(2001年10月23日)

狂牛病のニュースを通して、「私さえ良ければ」という我が身のありのままを照らし出してくださるはたらきをお聞かせいただきます。

No.55 悲しみと憎しみを乗りこえて(2001年9月21日)

アメリカ合衆国で起こった、あまりに悲惨なテロ事件。卑劣なテロ行為を絶対に許さないという思いと、この悲しみを二度と繰り返してはならないという私の思いを、ご法話として書かせていただきました。

No.54 歩道橋圧死事故に思う(2001年8月10日)

明石市で開催された花火大会で起きた悲しい事故を通して、私がどう問われているのか。あらためて、お念仏に問い聞いていきたいと思います。

No.53 住職補任式にて(2001年6月21日)

総代さんとふたりで京都のご本山に参拝し、住職補任式を受けてきました。その晩、総代さんが仰ったことを通して、私のありのままを見つめさせていただきます。

No.52 言葉を聞く こころを聴く(2001年5月23日)

浄土真宗は「聴聞(ちょうもん)」が大切だと言われますが、何を聞き、何を聴くのでしょう? ケーキの買い出しで起きたちょっとした行き違いを通して、話し合い法座の意義をもう一度確認させていただきます。

No.51 春の憂鬱(2001年4月23日)

毎年、春になると私は「憂鬱」になります。特に、花粉症は大きな悩みの一つでもあります。この花粉症のメカニズムを通して、私自身の生き方についてもう一度振り返ってみたいと思います。

No.50 我執のメガネ(2001年3月26日)

「どうして私だけがこのような苦しい思いをしないといけないのでしょう?」私がいただいたこの問いに、私としてどうお答えしていくのか、を書かせていただきました。

No.49 選ぶ私・選ばれた私(2001年2月21日)

人生において、様々な選び取りをしてきた私ですが、それと同時に、実は私が「選ばれていた」ということに気付かされます。私はいったい、何に選び取られたのでしょうか?

No.48 大悲を報ずる生き方は 大悲を伝える生き方である(2001年1月28日)

阪神・淡路大震災の時のボランティア活動や、今年の成人式を巡る出来事を通して、法語カレンダー1月号のこのお言葉の意味をかみしめてみたいと思います。

No.47 報恩講 いのちを見つめて(2000年11月22日)

子どもたちから、お年寄りから、対話を通して「いのち」のあり方について考えてみました。

報恩講というご縁を通して、もう一度「いのち」を見つめてみたいと思います。

No.46 浄土に往く・浄土にかえる(2000年10月21日)

私たち念仏者は、「浄土に往く」と同時に、「浄土にかえる」とも表現されます。。

「往く・かえる」という言葉にある、とても深いぬくもりときびしさの生き方を聞かせていただきます。

No.45 善人と悪人(2000年9月26日)

忙しい日々を送る中で、私の心の中に渦巻いた思い、「私はこれだけやっている、私は間違ったことをしていない・・・。」

私の恩師でもある浅井成海先生のご法話を通して、親鸞聖人がお示し下さった「善人と悪人」の意味を聞かせていただきます。

No.44 聞きたいこと、伝えたいこと(2000年8月9日)

「お聴聞が大切です」といわれるのが、私たちのみ教えの特徴でもあります。

では、いったい何を、どのようにお聞きしたらいいのでしょうか。

「こころの名医」でもある阿弥陀様にお伺いしましょう。

NO.43 ノーマライゼーションに学ぶ(2000年6月22日)

障害者は、「〜できない」のではない。周りが、「〜させない」のではないか。

従来の「〜してあげる」という福祉から、「共に生きていく」という福祉へ。

この「ノーマライゼーション」という思想から、大切なことを聞かせていただきます。

NO.42 「17歳」へのメッセージ(2000年5月20日)

立て続けに起こされる少年犯罪のニュースを見ながら、「何かがおかしい」と強く感じているのは私だけではないと思います。

念仏者の立場で、何が問われ、どう対処すべきなのか、共に考えてみたいと思います。

NO.41 選び取る・選び捨てる(2000年4月21日)

お部屋の引越を通して、「選び捨てる」ことの難しさを実感しました。

親鸞聖人や法然上人は、「ただ念仏一つ」という生きざまをお示し下さってます。

私たちは、念仏者の生き方を聞かせていただきます。

NO.40 こんなはずじゃなかった・・・(2000年3月22日)

「私の老後は、こんなはずじゃなかったんですけどね・・・。」

「こんなはずじゃなかった」から、「これがわたしのありのまま」と聞かせていただく人生へ。

そこに開かれてくる喜びの人生とは、どんな生き方なのでしょうか。

NO.39 本当の愛国精神とは〜ヤスクニに問う〜(2000年2月24日)

戦争で生命をなくされた先達方は、私たち残された者に何を願い、どう生きることを望んでおられるのでしょう。

そして、私たちが本当に「国を愛する」ということは、いったいどう生きることなのでしょう。

一人の念仏者として、「ヤスクニ」という問題に問いかけたいと思います。

NO.38 「講」ということ〜御同朋の社会を目指して〜(2000年1月14日)

「親鸞は弟子一人ももたず候」「御同朋・御同朋とかしずきて仰せられけり」という親鸞聖人の精神は、まさに私の生命観を問いただすものです。

その精神を、「講」という念仏者の生き方を通して問いかけます。

NO.37 念仏者の生命観〜一枚のシールを通して〜(99年11月20日)

大切な身内の方が亡くなられたとき、私たちは一枚の「シール」を玄関に貼ります。

そのシールにはどんな意味があり、私たちはどう受け止めるのか、生命観というテーマで考えてみましょう。

NO.36 聞法の道場(99年10月21日)

おかげさまで、神通寺の本堂も新しく、使いやすくなりました。

お寺の本堂とは、「聞法の道場」であるという再確認をさせていただきながら、阿弥陀様のお姿について聞かせていただきます。

NO.35 遇えてよかったね(99年9月19日)

久しぶりに夫婦ゲンカをしましたが、子どもの一言で仲直りしました。

ひとつ屋根の下で暮らしていても、お互いが本当に「出遇って」いないこともあります。

今、ここで、あなたと遇えてよかったというよろこびを聞かせていただきます。

NO.34 お墓参りの心得(99年8月11日)

お盆の帰省とともに、お墓参りをされる方も多いことと思います。

私たち念仏者は、どのようなお心でお墓にお参りさせていただくのでしょうか。

ご先祖様への想いを通して、お念仏のみ教えを聞かせていただきます。

NO.33 問われ続ける生きざま(99年7月19日)

「買ってはいけない」という本を読みながら、私が問われていることっていったいなんだろうと考えさせられました。

「〜してはいけない」と責めることが、私たちの生き方なのでしょうか。

みなさんは、どう思われます??

NO.32 「法名」の名のり(99年6月19日)

わたしたちが、生きている間に「法名」をいただく帰敬式(おかみそり)は、どんな意味があるのでしょうか。

ご門徒さんの研修会を通して、法名の意味と私の生きざまを考えます。

NO.31 つながっている生命(99年5月19日)

お釈迦様が説かれた真理の世界を、親鸞聖人はお念仏のみ教えとして私たちにお伝えくださっています。

そのことを、「縁起」ということばを通して、そしてつながっている生命の願いとして、聞かせていただきます。

NO.30 念仏の生活、念仏と生活(99年4月20日更新)

親鸞聖人、そして蓮如上人が私に伝えてくださったのは、「念仏の生活」でありました。

ところが、それを「念仏と生活」にしてしまったため、私の生き様とお念仏を分けて理解してしまったのです。

それをもう一度「念仏の生活」にしていこうというのが、私たちの教団が推し進める「基幹運動」です。

NO.29 脳死問題を考える(99年3月20日更新)

「あなたは先日の脳死判定とと臓器移植について、どう思われますか?」と問われて、

「役に立ったのだから、良かったじゃないですか。」

と答えた方がおられました。

皆さんなら、何と答えられますか??

NO.28 きびしさとあたたかさ(99年2月24日更新)

お念仏のみ教えは、ただあたたかさをもって無条件に救ってくださるのではありません。

また、きびしさをもって、私を断罪し、責めるだけのみ教えでもないのです。

きびしくもあたたかい、阿弥陀様の願いを聞かせていただきます。

NO.27 人生を「生ききる」(99年1月15日更新)

私たちの人生には、やがて終わりがやってきます。

しかし、それは単に「死にゆく」ことではなく、「生ききる」ことなのだと聞かせていただきました。

NO.26 こころのバリア・フリー(98年11月21日更新)

私のこころにあるバリア(障壁)をフリー(取り払う)にする生き方とは、どのようなものなのでしょう。

親鸞聖人の、「われら」という生き方に、その答えを聞かせていただきます。

NO.25 本当のよろこび(98年10月23日更新)

「無い物ねだり」を満足させている私のよろこび。

それに対して、真実のみ教えに出逢われたことをよろこばれた親鸞聖人は、「せずにはおれない」という人生を歩まれたのでした。

NO.24 願われている生命 (98年9月20日更新)

生命の尊さを説きながら、いのちのランク付けをしている私の生き方を見つめてみました。

仏様の願いとは、たった一人の子供を想うが如くであると説かれた「一子地」のお心を聞かせていただきます。

NO.23 人生の旅(98年8月9日更新)

お盆の時期を迎え、旅行に行かれたり、実家に帰省されたりする方も多いことかと思います。

この時期、私の「帰るべきところ」について、じっくりと考えてみたいと思います。

NO.22 悪人の救い(98年7月20日更新)

特養老をめぐる補助金の不正受給で、岐阜別院の前輪番たちが逮捕されるという事件が起きました。

私たちは、この事件を通し、お念仏のみ教えを聞かせていただきます。

特に、親鸞聖人がお示しくださった「悪人正機」を頂きながら、私たちの生き方を考えていきます。

NO.21 小さな生命の願い(6月20日更新)

新しく誕生するいのち、この世から去っていったいのち。

それぞれの生命から、私たちはどんなメッセージを受け取るのでしょうか。

無駄ないのちなどひとつもない、全てのいのちが輝いていることをあらためて感じます。

NO.20 「かわいそう」の向こう側

長野パラリンピックで、多くの感動を与えてくれた選手たち。

手足をなくしながら、感動の人生を歩まれた中村久子さん。

そこには、「かわいそうに」という感情を超えた世界が開かれているのだと教えていただきました。

NO.19 商売の繁昌・一宗の繁昌

日々の暮らしを営みながらのお念仏でありますが、商売をしながらのお念仏とはどのようなものなのでしょうか。

ご法義の繁昌ということを、蓮如上人にお聞きしながら、あらためていただきたいと思います。

 

NO.18 子供を亡くした母からの手紙

この下にある、「家族と夫婦」というご法話を読んで下さった女性から、お手紙をいただきました。

そのお手紙と、私のお返事を載せています。名前以外は、原文のままです。

NO.17 家族と夫婦

最近、殺伐とした子供のニュースが、テレビや新聞を賑わしています。

いったい、念仏者にとっての家族・夫婦とはどうあるべきなのか。

その答えを、親鸞聖人と恵信尼さまの関係を通して、いただいていきます。

NO.16 病気に教えられる

身近な人たちの病気を通して、念仏者にとっての「病気」とは何なのかを問うてみました。

私自身の経験などを交えながら、生活の中の病気と念仏のあり方を考えてみたものです。

NO.15 人生・よりどころ・報恩講

「今の日本人には宗教心がない」といわれます。

私にとっての宗教とは人生のよりどころであり、だからこそお念仏をよりどころとした生活とは何かが問われているのだと思います。

NO.14 母なるはたらき マザーテレサに想う

母親としてのはたらきを私たちに届けてくださるがゆえに、マザーと呼ばれ、そしてこの世を去った一人の女性に、大切なことを教えていただきました。

あらためて、親の願いに生きる私たちの姿を見つめてみます。

NO.13 「火垂るの墓」に思う 〜お盆の本当の意味〜

妹を助けるために、次々と罪を重ねていくお兄さんの姿に、お盆の起源である「盂蘭盆経」のエピソードをかさねあわせてしまいます。

お盆の意味について、念仏者としていただく味わい方をお取り次ぎしました。

NO.12 神戸の殺人事件に思う 〜本当のお慈悲とは〜

神戸の小学生殺人事件の犯人が捕まったとき、中学生の犯行だと聞いた私は、言い知れぬかなしみを感じました。

そのかなしみは、犯人が「子ども」であったからです。

なぜ、子どもだとかなしいのでしょうか。

お慈悲の心をテーマに、この事件を考えていきます。

NO.11 人生のよりどころ 〜ただ念仏のみぞまこと〜

私たちが求めている「幸せの3大条件」をもとに、人生のよりどころを考えていきます。

親鸞聖人は、単なる幸せ・幸福を求められたのではありませんでした。

では、親鸞聖人が求められたのは・・・。

NO.10 老いて生きること 〜岐阜県大野郡 宮村の「臥龍桜」に思う

歳をとると、あれができなくなった、これができなくなったと、悪いほうに考えてしまいます。

でも、老いていくことは、本当に悪いことなのでしょうか。

老いることの意味、人間としての生き方にスポットを当ててみます。

NO.9 念仏者にとっての生命の世界 〜クローン動物誕生に思う〜

まったく同じ遺伝子を持つ生き物・・・クローン動物の誕生に際し、私たちはその問題をどう捉えていったらいいのかを考えます。

単にその善し悪しを語るのではなく、命の捉え方を考えてみようというご法話です。

NO.8 月を指す指

お釈迦さまの説かれた「お経」は、月を指す指と一緒です。

真理とは一体何かを考えたご法話です。

NO.7 カッコウに学ぶ

阿弥陀さまが、「すべての生きとし生けるものを救う」と誓われたのは、ひとえに苦悩の中にある私を助けんがためのお誓いであったといただきます。

その「悪人正機」といわれるお救いを、カッコウの生態を通して聞かせていただきます。

NO.6 いただきます!

ご飯のときに、「いただきます」といって合掌するのは、本当はこういう意味があったのです。

NO.5 手袋を取るのがお聴聞

氷屋さんは、たくさん氷をさわっているから、氷が冷たくないのでしょうか。

NO.4 位牌と過去帳

私たちのお仏壇には、どうして位牌を置かずに過去帳を置くのでしょうか。

NO.3 青色青光 赤色赤光

お花のことかよく分からない私は、「これは高い花ですよ」といわれると、ああ、いい花なんだなと思い込みます。

でも、きっとどの花も、一生懸命にその命を輝かせているのです。

NO.2 いじめに対するひとつの試み

ある学校で、いじめを防ごうと、「相手を誉めるカード交換」をはじめました。

すると、いじめっ子の○○君は・・・。

NO.1 こほりおほきにみづおほき さはりおおきに徳おほし

阪神・淡路大震災のとき、「地震が東京でなくてよかった」といった大学教授。

高山線の落石事故のときに、「知り合いが汽車に乗ってなくてよかった」といった私。

その根底にあるものは、一体何なのでしょう。