今ここでの救い(2014年2月26日)

迷うということは、現在地と方向がわからなくなるということです。だから、現在地と方向を知らされることで、すでに私は迷いを離れ、安心をいただくのです。そのことを、み教えを通して聞かせていただきます。

かならず再び会う(2014年1月30日)

お念仏は、悲しみがなくなる教えではありません。しかし、避けて通ることのできない悲しみの中にあって、いのちの行き先と温もりをいただく教えなのです。「かならず再び会う」ことのできる世界について、聞かせていただきます。

聞くことは信心なり(2013年11月22日)

親心というのは、子どもを育てる「責任」と、無条件の愛を注ぐ「慈愛」です。その親心を一心に受け止めた子どもは、親の胸に身をまかせ、大いなる安心の中にあります。
「聞くことは信心なり」ということを、親心のはたらきを通してお聞かせいただきます。

No.186 美しき西方浄土(2013年10月28日)

経典に説かれてある、お浄土の荘厳は、私を救って仏と成らしめる、というあみださまの願いによって建立されました。そのお心を、先日お亡くなりになったやなせたかしさんとアンパンマンを通して、聞かせていただきます。

No.185 お・も・て・な・し(2013年9月28日)

東京オリンピック招致の決め手となった、「お・も・て・な・し」の精神について、蓮如上人は大切なことを伝えてくださっています。
勝山市でいただいたおろしそばの体験を通して、そのお心を聞かせていただきます。

No.184 帰るところのある人生(2013年8月9日)

世界遺産登録となった富士山が大人気です。登山に向かう人たちは、それぞれに人生のドラマを抱えながら、富士山に向かっているのでしょうか。私が歩む人生を、登山と重ね合わせながら、「帰るところのある人生」について考えてみました。

No.183 のせてかならずわたしける (2013年7月24日)

不安をあおって安心を売りつけるのは、ホンモノの宗教ではありません。私のありのままを知らせ、歩む道筋を示して下さるのが、ホンモノの宗教です。

阿弥陀様は、さらにその道筋をひっくり返されて、苦悩を抱えたこの私を救うほとけに成る、と誓われました。そのはたらきを「ふね」に喩えて下さった和讃を通して、阿弥陀様のお心をお聞かせいただきます。

No.182 選択本願 (2013年6月23日)

「お念仏ひとつで救われるとは聞かせていただきますが、世間には様々な教えがあります。他の教えはダメだ、お念仏ひとつだというのは、あまりにも排他的ではありませんか。お念仏も、もっと寛容的であるべきではありませんか。」

そのような問いをいただくことがあります。排他的な教えではなく、選択的な教えとしてのお念仏を、「選択本願」という事を通して、聞かせていただきます。

No.181 法統の継承 (2013年5月22日)

築地本願寺で勤めていた弟一家が、北九州市の明遵寺さんにご縁をいただき、入寺式を行いました。京都では、本願寺門主の退任表明もありました。お寺を継ぐということは、いったい何を継ぐのか。そこに「法統の継承」ということの、大切な意味を聞かせていただきます。

No.180 如来の喚び声 (2013年4月20日)

三ヶ月の入院を宣告されたときの私は、それまでの「当たり前」が次々と私から奪い取られていくという「絶望」でした。しかし、私はその宣告に「安心」を感じていたのです。「ケガの治療は医師にお任せなさい。」というメッセージをいただいた私は、「安心して絶望できる」ということを教えていただきました。

No.179 限りなき光と寿の仏 (2013年3月26日)

「走ったら危ないよ!」の呼び声に、「ハーイ!」と返事をしながら走っていく、テンションアゲアゲの子どもたち。それを見守る大人は、「絶対にこの子たちにケガをさせてはいけない。事故に遭わせてはいけない。」そう思って、目を離すことはありません。

でも、阿弥陀様からご覧になった私の姿は、その子どもたちと一緒なのかも知れません。「摂め取って捨てない」という阿弥陀様のお心を、あらためて聞かせていただきます。

No.178 報恩の念仏 (2013年2月25日)

「ナマンダブ、ナマンダブ・・・。これだけお念仏申したら、きっと阿弥陀様がお救いくださるに違いない。」ついつい、そんなふうにお念仏してしまう私がいます。自分が称えた念仏の功徳で救いに預かろうとするのは、「自力の念仏」となってしまいます。親鸞聖人は、龍樹菩薩を通して、他力の念仏とは「報恩の念仏」であるとお示しくださいました。そのお心を聞かせていただきます。

No.177 自在の救い (2013年1月22日)

大切な方とのお別れを経験した方にお聞きします。「先立ったお方は、今、何処で、何をしておられると思いますか?」 先立った方のいのちの行き先を考えるということは、そのまま、自分自身のいのちの行き先をどう考えるか、ということにつながっていくのです。

No.176 他力本願(2012年11月21日)

み教えをあらわす大切な言葉であると同時に、世間で最も誤解を受けている言葉でもある「他力本願」。まずは、その誤解の根底にあるものを理解するところからスタートしたいと思います。

No.175 救急の大悲(2012年10月23日)

ケガをした現場で、救急車のサイレンが聞こえたとき、本当にホッとして、安心感を覚えました。善導大師は、阿弥陀様のお慈悲のお心を「救急(くきゅう)の大悲」であると示して下さいます。そのお心を聞かせていただきました。

No.、174 入院に学ぶ(2012年9月23日)

6月の事故&入院から、三ヶ月が過ぎました。多くの皆様にご心配をおかけしましたが、回復も進み、現場にも復帰しています。事故と入院で経験したことを振り返りながら、そこから大切なことを学んでいきたいと思います。

号外 お盆とは(2012年7月31日)

私が受け止めている「お盆」の意味について、少しだけ書かせていただきました。

No.173 交通事故と、その後の経過報告について(2012年7月21日)

No.172 真実の教え(2012年5月22日)

親鸞聖人は、お釈迦様が説かれた数多くの経典の中から、「大無量寿経が真実の教えである」と選び取られました。その理由は、「お釈迦様のお顔やお姿が、この上なく光り輝いておられた」からだと仰います。そのことを味わいながら、私にとっての真実の教えについて考えてみます。

No.171 凡夫(2012年4月27日)

最近のニュースを見ていて、「東電バッシング」の報道が目に付きます。原発事故を起こした会社を「けしからん」といって叩くのは気持ちがスッキリする反面、私自身はどういう立ち位置でこの問題に関わるべきなのかを考えてしまいます。前回に引き続き、「拝読 浄土真宗のみ教え」から、『凡夫』の章を味わってみました。

No.170 人生そのものの問い (2012年3月24日)

本願寺では、ご法座の際に「拝読 浄土真宗のみ教え」を唱和します。その中、「人生そのもの問い」について、一緒に味わってみました。

No.169 お仏壇のお参り (2012年2月24日)

私たちは、いろんな思いを込めて、お仏壇に手を合わせ、お参りします。そのお参りに込められた本当の意味は、どこにあるのでしょうか。ご先祖様をご縁としてお参りしていく私の姿を見つめながら、考えてみたいと思います。

No.168 本当の絆〜大悲の願より出でたり〜(2012年1月24日)

昨年を表す漢字は、「絆」でした。まさに、絆の尊さ、大切さを実感した一年でしたが、私たちにとっての絆は、単に人と人との関係をさすものではないと思うのです。
念仏者にとっての絆とはどういうものなのか、考えてみました。

No.167 他力をたのみたてまつる悪人(2011年11月21日)

一人暮らしの息子の部屋へ入って、その汚さにビックリ!本人は、「そんなに汚れてたかなあ。」という感じ。部屋が汚れていると思わない人は、掃除をしないんですね。

そんな出来事を通して、「悪人正機」ということを考えてみました。「他力をたのみたてまつる悪人」こそが、救いのお目当てであるということを、豊島學由先生のお言葉を通して聞かせていただきます。

No.166 「終活」(2011年10月20日)

人生の最期の迎え方や、葬儀などについて、きちんと準備することを「終活」というのだそうです。

ご門徒さんとのご法事での出来事や、映画「エンディングノート」監督の言葉を通して、また、親鸞聖人ご自身のご往生の様子をお伺いしながら、人生の最期の迎え方について考えてみました。

No.165 「出会い・出逢い・出遇い」(2011年9月22日)

私たちが日々経験している「であい」は、どのようなものでしょうか?そして、私たちが心の中で求めている「であい」は、どのようなものでしょうか?

「であい」の意味を考えながら、私にとってのであいについて考えてみます。

No.164 いのちの行き先(2011年8月5日)

「逆縁に思う 亡き子へのラブレター」 というお手紙を通して、私のいのちの行き先について考えてみました。

「阿弥陀仏って、本当は実在しないんでしょう? お浄土なんて、作り話なんでしょう?」 そういう現代人の問いに対して、「私にとっては、お浄土はなくてはならないものでした。」という受け止め方を書かせていただきます。

No.163 布教大会(2011年7月22日)

7月17日に神通寺で行われた、布教同志会岐阜支部 布教大会の様子をアップしました。四名の若手布教使さんが、お話し下さっています。

No.162 地縁・血縁・法縁(2011年6月23日)

ご本山での、親鸞聖人750回大遠忌法要にお参りしてきました。そのエピソードも交えながら、私たちにとっての「ご縁」の意味について考えています。

一緒にお参りできたという「地縁」、納骨の際に実感した「血縁」は、わたしを仏法に出遇わせてくださった「法縁」であったといただく世界を聞かせていただきます。

No.161 仏心に出遇う(2011年5月25日)

仏壇も、ご本尊も、大きくて新しい方がいいのかというと、必ずしもそうではありません。たとえ古くとも、私たちの先達が手を合わせ、お参りしてこられた大切な思いが、そこには込められているのです。

「どうか手を合わせて、お念仏申す身になってくれよ。」願って下さっているのは、私のほうではなく、阿弥陀様のほうでありました。そのお心を聞かせていただきます。

No.160 疑城胎宮(2011年4月23日)

東日本大震災が起きたとき、災害から4時間後には第1次救援隊を出動させた自治体がありました。被災した相手のことを思っての、素早い行動です。その一方で、被災した人たちへの、偏見や差別もあとをたちません。

「自分さえ良ければ」という思いに通じる、疑城胎宮」という仏法の考え方を聞かせていただきます。

No.159 友引の根拠?(2011年3月24日)

3月11日に発生した、東日本大震災で被災された方々には、心よりお見舞い申し上げます。

皆が不安なときには、デマなどの「根拠のない情報」が広まります。私たちは、正しい情報をもとにして行動していくことが求められます。

あらためて、真宗門徒として大切な方の葬儀をおつとめするときに、日を選んだり避けたりすることが、どのような意味を持つのか、考えてみました。

No.158 恩徳讃と報恩行(2011年2月22日)

最近の世相をあらわす、「無縁社会」という世の中のあり方。その一方で、「タイガーマスク運動」の広まりは、大きなニュースになりました。

私たちは、真宗門徒として、世の中にどう関わっていったらいいのか。「恩徳讃」を通して、私たちにとっての報恩行について考えてみました。

No.157 願以此功徳(2011年1月26日)

おつとめのなかで、一番最後に称えるのは、多くの場合「願以此功徳」ですよね。これを、私たちは「回向句」とよんでいます。

この回向句に込められた意味を聞かせていただきながら、お念仏のみ教えを味わっていきたいと思います。

No.156 疑いのない心(2010年11月22日)

「固く信じていますよ。疑っていませんよ。」これは、「確信」といわれる信じ方です。信じようと想う心の裏側に、疑いや不安の心が隠れているのです。

み教えからいただく「信じ方」は、そうではありません。疑いのない心(無疑心)といわれる信じ方とは、どのようなものなのか。「聞即信」という言葉をキーワードにして、味わっていきたいと思います。

No.155 念仏者は無碍の一道なり(2010年10月23日)

私は、真宗門徒として生きていきたい。でも、そうは言っても・・・。 

生きるよりどころをしっかりと定めるほど、実はいろいろなジレンマを抱えていかなければならないという「ホンネ」を踏まえた上で、「念仏者は無碍の一道なり」と示された、念仏者の生き方を再確認できたらと思います。

No.154 本当のお墓参り(2010年9月24日)

残暑厳しい炎天下で、納骨法要にお参りしました。そのときの出来事を通して、真宗門徒としてのお墓参りについて、大切なことを聞かせていただきました。

No.153 阿弥陀様の心・親心(2010年8月9日)

お参りが始まる直前に、「ぼく、おまいり、やだ〜!」と言ってダダをこねる子どもさん。さて、あなたがその子の親(あるいは祖父母)だったら、どう対処しますか?

部屋から子どもを出さず、一緒に最後までお参り下さったご家庭の様子を通して、阿弥陀様の心、親心を聞かせていただきます。

No.152 世の中安穏なれ 仏法弘まれ (2010年7月23日)

「西本願寺と東本願寺は、何が違うのですか?」と聞かれたら、あなたはどうお答えになりますか? 歴史を振り返りながら、先人たちの熱き思いを偲んでいきたいと思います。

No.151 よきひとの仰せ (2010年6月28日)

皆さんには、人生の「師」と呼べる人はおられるでしょうか。私には、います。浅井成海先生です。その浅井先生が、先日ご往生されました。満七十五歳の御生涯でした。「師」とのお別れを通して、歎異抄第二条のお言葉を味わっていきたいと思います。

No.150『阿弥陀経』のこころ(2010年5月25日)

まだ若い頃、お参り先で聞かれたことがあります。「この阿弥陀経には、何が書いてあるのですか。」当時、しどろもどろになりながら、語句解説をしたことを覚えています。

しかし、お尋ねになった方は、語句の意味を聞きたかったのではなく、「この阿弥陀経は、先だった人にどのような意味を持つのか?」ということを知りたかったのではないでしょうか。

お参りや法要で読む『阿弥陀経』のこころを、共に聞かせていただきます。

No.149 『葬式は、要らない』?(2010年4月20日)

宗教学者の島田裕巳さんが出されたベストセラー『葬式は、要らない』を通して、私たちが本当に求めている人生の終わり方、葬式のあり方について考えてみたいと思います。

No.148 食事のことば(2010年3月26日)

日本の食文化が問われる出来事が起きる中で、「食事をする」ということの意味を再確認したいと思います。ちょうど、西本願寺の「食前のことば」が変わりました。その中味を味わいながら、「いただきます・ごちそうさま」の意味を共に考えたいと思います。

No. 147 まは さてあらん(2010年2月24日)

 「必ず救うぞ、我にまかせよ」という願いに支えられた私は、「私が救われたらそれでいいのだ、他のいのちは関係ないのだ」という生き方をするのではありません。自分の力の限界性をきちんと見据えながら、「目の前にある悲しみ、苦しみを何とかしたい」という願いの中に生きていくのです。阿弥陀様の願いの中で、つらさや悲しさを乗り越える力をいただいた私であるからこそ、そのよろこびに恩返しのできる人生を歩んでいくのです。

上村愛子さんのエピソードや、恵信尼公のお手紙を通して、そのおこころを聞かせていただきます。

No.146 正義と真実(2010年1月31日)

自らのブログに、「高度医療が障害者を生き残らせている」と書いた市長さんがおられました。正義感の強いお方なのだろうと思います。しかし、あまりにも正義感が強すぎると、自分以外の意見に対して断罪し、傷みや悲しみに気付かなくなってしまうことがあるように思います。「正義は他人の非を断罪し 真実は自己の非をみつめさせる」ということを思いながら、お話しをさせていただきました。

No.145 亡き父は成仏できますか?(2009年11月18日)

自死された父の葬儀について、相談をされた息子さんが、真摯な顔でこうお尋ねになりました。「亡き父は、成仏できますか?」

この、深くて重い問いかけを受け止めながら、『浄土真宗の教章』をもとにお話しした、通夜法話です。

No.144 仙経を梵焼して楽邦に帰す(2009年10月26日)

布教先のご門徒さんに、年配者としての役割をお話ししながら、「頑張りましょう!」とエールを送ったところ・・・。

「年寄りに頑張れっていったって、無理だわ。」

あとからご住職にお話を伺うと、今まで本当に頑張ってこられたお方でありました。「いのちのかがやき」の本当の意味を、考えさせていただきました。

No.143 御同朋の社会を目指して(2009年9月25日)

ご本山で行われた「中央教修」に、スタッフとして参加してきました。そのときに行われた話し合い法座の様子を通して、本願寺の基幹運動スローガンである「御同朋の社会をめざして」について考えてみます。

※お詫びと訂正

本願寺 基幹運動のスローガンは、「御同朋の社会をめざして」(めざして、は、ひらがな表記)です。身体の一部を使った漢字を使わなくても、きちんと意味が伝わるならば、あえて漢字を使わず、ひらがなを用いるという意味も込められています。受け止める側、読む側の気持ちに立って文章表現をすることの大切さを、今後も見失わないようにしたいと思います。

No.142 縁起とは(2009年8月11日)

「あなたのお母さんって、何歳ですか?」そんな質問から始まった、年回法要のお話でした。そのあと、施主さんの語って下さった挨拶を聞きながら、仏教で説かれる縁起の思想を味わってみたいと思います。

No.141 二河白道(2009年7月25日)

善導大師が、念仏者の姿を喩えて下さった「二河白道」のお話から、私は二つのことを大切に受け止めてゆきたいと思っています。天岸浄圓先生と、浅井成海先生のお言葉を通して、大切なことを聞かせていただきます。

No.140 遠く宿縁を慶べ(2009年6月27日)

全国から集まったご門徒さんの同期会に、念仏奉仕団の一員として参加してきました。十年目の同期会でしたが、病気のために出席できなかった仲間もいました。彼のブログを通して、「遠く宿縁を慶べ」と仰った親鸞聖人のおこころをお聞かせいただきます。

No.139 二種深信(2009年5月25日)

新型インフルエンザの影響が、日本だけでなく、世界中に広まっています。もちろん、自分や家族の安全を思うと、他人事ではありません。それと同時に、自分や家族を守りたいと思うあまりに、自分のエゴをむき出しにしてしまい、他人のいのちを踏みつけたり、自分さえ良ければ、という世界に陥ってしまう自分がここにいることに気付かされます。

「二種深信」のおこころを通して、「煩悩具足の凡夫が仏に成る」という救いのあり方について、あらためてお聞かせいただきたいと思います。

No.138 手ですることを足にてするぞ(2009年4月25日)

4月の上旬に、ご本山にて布教のご縁をいただきました。そこで私は、「初心」の大切さを思い出すとともに、「馴れてしまうと、手ですることを足にてするぞ」と戒められた、蓮如上人のお言葉をかみしめています。

あらためて、布教使としての原点を確認したご縁でありました。

No.137 難中の難これに過ぎたるはなし(2009年3月23日)

「ずっとみ教えを聞いているんですが、どうしても難しいのです。」そうおっしゃるご門徒さんの質問を受けて、「み教えの難しさ」ということを考えてみました。

映画「おくりびと」の本当の原作者、青木新門さんの「納棺夫日記」への思いを聞きながら、み教えを受け止める私の姿について問いかけてみたいと思います。

No.136 ただ念仏のみぞまこと(2009年2月21日)

本願寺で開催されている、ご門徒さん対象の「中央教修」を見学してきました。話し合い法座を勧めていく中で、「仲間」でありたいと思っている私の生き方が、実は「仲間はずれ」を作り出しているということに気付かされます。その私は、お念仏を通して、どのような生き方に目覚めていくのでしょうか。歎異抄の後序にある、「ただ念仏のみぞまことにておはします」という言葉を通して、「傷つきたくない」私を、「傷つけたくない」と願って下さる阿弥陀様のおこころを聞かせて頂きます。

No.135 裁判員制度(2009年1月20日)

もし、自分が裁判員に選ばれると、犯罪の審理・裁判を担当するかも知れないという、「裁判員制度」が、5月から始まります。お念仏のおこころをいただく私たちは、正義の立場から悪を裁くのではなく、「縁に触れれば自分も過ちを犯しかねない私」であるという凡夫の立場で関わってゆきたいと思うのです。その上で、「摂取不捨」のはたらきをいただきながら、「許すことはないけれども、そのあなたを必ず救う」というお心を聞かせていただきます。

7年前の神通寺報でも触れている、さださましさんの「償い」を聞きながら、一緒に味わってみましょう。

                                 ↑ 上手く再生されない方は、こちら(youtube)をご覧下さい。

No.134 第18願(2008年11月20日)

私たちがよりどころにしている『仏説無量寿経』には、法蔵菩薩が48の誓いを建て、成就して阿弥陀仏になられたのだと説かれてあります。

その誓いの中心は、第18の願にあるのだと、法然聖人・親鸞聖人がお示し下さいました。その第18願のお心を聞かせて頂きます。

No.133 学仏大悲心(2008年10月21日)

私たちの教団が進めている「基幹運動」とは、「み教えを聞く仲間でありたい(門信徒会運動)」と、「み教えを聞く仲間はずれを作りたくない(同朋運動)」という、二つの柱から成り立っています。私自身の経験を踏まえながら、「仏の大慈悲を学(まね)ぶ」生き方を考えてみます。

No.132 後に生れんひとは先を訪へ(2008年9月24日)

赤不二夫さんの葬儀に際して、親交の深かったタモリさんが読んだ弔辞は、ニュースでも紹介され、多くの人の共感を呼びました。あの弔辞を聞いた私は、何を感じ、どう心を動かされたのでしょうか。定例法座の参加者と一緒に考え、聞かせて頂きました。

No.131 キッズサンガ(2008年8月9日)

夏休みに入ったところで、飛騨組のキッズサンガを開催。1泊2日で、古川町のお寺に泊まります。神通寺子ども会からも参加しました。「お寺を子どもの居場所に」というこのイベントを通して、阿弥陀様のお姿から仏法を聞かせて頂きます。

No.130 浄土真宗の教章(2008年7月24日)

本山で開催される、ご門徒さん対象の研修会「中央教修」では、話し合い法座を中心として4日間を過ごします。4月に新しく制定された「浄土真宗の教章」をテーマとして、「浄土」のはたらきについて話し合いました。そのことを通して、あらためて「私の歩む道」を確認したいと思います。

No.129 今 ここの救い(2008年6月23日)

秋葉原で、悲しい事件が起きました。1週間もたたないうちに、今度は岩手・宮城内陸地震が起きました。私たちが聞かせて頂くみ教えは、死んでからのお救いではなく、今、ここでのお救いであります。そのことを、身に染みて聞かせて頂きました。

No.127 むなしくすぐるひとぞなき(2008年5月21日)

「この世の最大の不幸は、貧しさや病ではありません。だれからも自分は必要とされていない、と感じることです。」 (『マザー・テレサ語る 』より)
 自分は必要のない、意味のないいのちであると感じてしまうところに、本当のつらさ、悲しさがあるのでしょう。その私が、「むなしくすぎる人生」から、「ともにいのちかがやく人生」に転じられていく生き方を聞かせて頂きます。

No.126 慈悲なる怒り・・・非暴力(2008年4月21日)

ダライ・ラマ14世は、怒りの感情にも良い怒りと良くない怒りがあるのだと仰います。それは、原因の段階にある心の持ち方によるのです。相手を思いやる、お慈悲の心からわき上がる怒りの目を持って、世の中の抑圧や不正に対処していくことの必要性を説かれます。その言葉を通して、あらためて親鸞聖人のお聖教を読み、私の生き方を問うて行きたいと思います。

No.125 自死のつらさ(2008年3月21日)

学びを深めていく中で、人権意識が高まっていく世の中ですが、他人の傷み・苦しみに共感することの難しさを実感するばかりです。そんな中で、身内の自死という苦しみの中には、「命を粗末にしたのではないか」という後ろめたさを感じながらの苦しみがあるのではないかと思うのです。親鸞聖人の御消息にうかがいながら、「臨終の善悪を申さず」というお言葉を味わってみたいと思います。

No.124 夫婦とは(2008年2月28日)

最近、年を取ったせいか、涙腺が緩んできたような記がします。ドリカムのアルバム「And I Love You」を聴いて、クルマの中で泣いてしまいました。ご門徒さんとのできごとも踏まえながら、「夫婦って何だろう」ということを考えてみました。

No.123 善悪の「ものさし」(2008年1月21日)

ショッピングセンターのトイレで、小3ののりちかくんは、後ろに並んでいた子に「おさきにどうぞ」ど順番を譲ってあげました。「そんかとくか 人間のものさし うそかまことか ほとけさまのものさし」(相田みつを)というお言葉を通して、阿弥陀様のおこころを聞かせて頂きます。

No.122 性弱説(2007年11月21日)

法要のおふるまいの席で、「住職さんのお話を聞いて、『性弱説』という言葉を思い出しました。」と言われました。初めて聞く言葉ですが、お念仏を通して聞かせて頂く人間観を深く問われる言葉です。

この言葉を通して、「救いのお目当て」としての私の姿を見つめてみたいと思います。

No.121 聞即信(2007年10月23日)

不眠に悩む若い女性、不安やストレスの日々。我が家の出来事を含めながら、

阿弥陀様の願いが起こされた本当の理由(仏願の生起本末)を聞かせていただきます。

No.120 柔軟心と金剛心(2007年9月30日)

最近流行りの健康器具を買いました。お腹に付けて「ブルブル」するやつです。

固まっている脂肪を柔らかくして、体から出やすくするはたらきって、

話し合い法座と同じなんですね。これを「柔軟心」のはたらきだと聞かせていただきます。

No.119 よろこびのお念仏(2007年9月30日)

毎年恒例となった、島根の実家へ里帰り。

水族館での出来事と、田舎(!)のお寺でのお参りを通して、

よろこびの中で伝わってきたお念仏のはたらきを聞かせていただきます。

No.118 念仏者の報謝行(2007年8月1日)

報謝行とは、感謝のお念仏を申すことです。でも、それだけではありません。

もっと積極的に社会に関わり、人々の苦悩に応えていくのが、報謝のいとなみです。

現実の苦悩を乗りこえていく素晴らしいパワーを持ったお念仏のはたらきを、再認識したいと思います。

No.117 ただ念仏のみぞまこと(2007年7月2日)

自分がふだん「あたりまえ」とおもっている価値観が壊されることなど、そうそうあるものではありません。

しかし、ひとたび悲しいご縁に遇ってしまうと、「ここにいてあたりまえ」のいのちさえいなくなってしまうのです。

親鸞聖人が「ただ念仏のみぞまことにておはします」と仰せになったおこころを、あらためて聞かせていただきます。

No.116 いかなる振る舞いもすべし(2007年6月12日)

アメリカ合衆国で起こった銃乱射事件。しかし、アメリカ国内の世論は、「銃の規制」には向かいませんでした。

その根底には、国家の成り立ちから来る「憲法」と、その国民性が大きく影響しているのではないでしょうか。

あらためて、親鸞聖人のお示し下さった人間観を通して、私の生き方を問いかけてみたいと思います。

No.115 大乗の至極(2007年5月1日)

末っ子のちか君のおなかが痛くなったとき、すぐに病院へ連れて行ってくれたお母さん。その姿を通して、「大乗」の本当の意味を味わってみたいと思います。

No.114 還るはたらき(2007年4月9日)

「千の風になって」という歌を通して、還ってくるはたらきという意味について聞かせて頂きます。

No.113 真・仮・偽(2007年4月9日)

ホンモノを知っているからこそ、ニセモノを見抜くことができる。そんなはたらきについて聞かせて頂きます。

No.112 私の願い・仏の願い(2007年2月9日)

「あの番組のデータは、全部ねつ造だった!!」そう聞いて、ショックを受けた人も多かったことでしょう。「健康でありたい、スリムでありたい」という願いは、私だけでなく多くの人が持っているものかも知れません。その「願い」を通して、「仏の願い」について考えてみます。

No.111「いじめ」に思う(2006年11月28日)

 「相手のいのちを尊重するには、まず自分のいのちを尊重することが大切である。」そこに、いじめ問題を考える一つのポイントがあるように思います。子ども会を通して私が体験した思いを通して、「いじめ」という問題について考えてみます。

No.110 北朝鮮の核実験(2006年10月25日)

10月9日、北朝鮮が核実験の実施を発表。14日には、国連の安全保障理事会で、北朝鮮制裁決議が全会一致で採択。 一人の仏教徒として、念仏者として、私はこの問題から何を聞き、学び、どう行動するのでしょう。話し合い法座でのご意見もふまえて、考えてみました。

No.109 どうして人を殺してはいけないのですか?(2006年10月4日)

神戸の児童殺傷事件のあと、あるシンポジウムで高校生がこう質問したとき、大人達は誰もまともに答えることができなかったそうです。私なら、あなたなら、どう答えたのでしょう?そんな問題提起をきっかけに、話し合い法座を開きました。

No.108 お盆に想う〜安居と盂蘭盆経〜(2006年8月22日)

皆さんは、安居(あんご)ってご存じですか?お釈迦様の時代から続く、お坊さんの勉強会の流れなんですが、これはお盆の起源となる、「盂蘭盆経」と密接な関係があります。お念仏を通して、わたしが聞かせていただいたお経の心をつづってみました。

No.107 世の中安穏なれ(2006年7月29日)

世界中が熱狂した、サッカーワールドカップ ドイツ大会の決勝戦。フランス対イタリアで起きた、ジダン選手のレッドカード退場。北朝鮮のミサイル問題も合わせながら、「世の中安穏なれ」とお手紙に書かれた親鸞聖人のお心を聞かせていただきます。

No.106 慈悲のかわりめ(2006年6月30日)

本当のお慈悲って何だろう。親鸞聖人は、どうして「お慈悲には聖道と浄土のかわりめがあります」と仰ったのだろう。山岳遭難の臨終勤行という出来事を通して、そのお心を聞かせて頂きます。

No.105 浄土への道は 彼方ではなく 私の足元にある(2006年5月31日)

本山では、ご門徒さん対象に、3泊4日で「中央教修」という研修会を開いています。その中で話し合われたご法座の内容を中心に、「お浄土への道を歩む」ということを考えてみました。

No.104 あるべきところへかえる(2006年4月28日)

 私自身の人生はちゃんと「目的地」が設定されているのでしょうか。「帰るべき場所」がちゃんと定まっているのでしょうか。それがわからないままに生きているとすれば、それは「いのちをさまよっている」ことになりはしないでしょうか。

そんな問いかけをしてみたとき、つくづくお念仏のみ教えを聞かせてもらって良かったなあと思います。

No.103 よろこびの循環(2006年3月25日)

「本当の愛を与えられたことがなければ、人を本当に愛することができない」って言う考え方、あなたはYESですか、NOですか?

山田ズーニーさんの問いを通して、私が娘からもらった「愛情」を考えてみました。

No.102 恥づべし 傷むべし(2006年2月26日)

平気で信号無視をする観光客に「イヤミ」を言う私ですが、かつては私も平気で信号無視をしていました。でも、子どもの一言で、お巡りさんに言われたことが「わがこと」となり、恥ずかしい思いをしたのです。「恥ずかしい」という思いを通して、親鸞聖人のお心を聞かせて頂きます。

No.101 失って気付くもの(2006年1月23日)

昨年の暮れ、奥から2本目の歯が根元からポッキリと折れてしまいました。今までそこにあって当たり前と思っていたものほど、失ったときにそのありがたさ、尊さが身に染みるものです。そんな出来事から、仏法を聞かせてもらいました。

No.100 奉仕と感謝(2005年11月25日)

10月の下旬、総勢25名で、念仏奉仕団の旅行へお出かけしました。その時に感じたことをお話しさせていただきます。

No.99 「あなたが大切だ」(2005年11月2日)

『命は大切だ。命を大切に。
そんなこと何千何万回言われるより
「あなたが大切だ」
誰かがそう言ってくれたら
それだけで生きていける。』

AC(公共広告機構)のCMを通して、私が感じたことをお話しさせていただきます。

No.98 「平和」ということ(2005年10月5日)

私の外側に、平和や戦争があるのではないのですね。自分の心の中が平和にならなければ、世界は平和にならないという、谷川俊太郎さんの言葉の重さをかみしめながら、私が何をすべきかを深く考えさせられたことです。

No.97 「問い」の深さ(2005年7月29日)

 誤解を恐れずに言います。大きな「問い」を持つ人生は、深い人生となり、小さな「問い」しかもてない人生は、浅はかな人生になってしまうのではないか。そんな思いをご法話にしました。

No.96 ご本山に参拝しよう!!(2005年6月24日)

私は最近まで、「遺産」「文化財」という言葉が好きではありませんでした。特に本願寺が「世界文化遺産」に指定されたことは、あまり嬉しく感じていなかったんです。でも、最近世界的なニュースになったあの出来事をきっかけに、私の考え方を変えることになりました。

No.95 本当の癒し〜かけがえのない私(2005年5月24日)

「癒し系」ブームです。でも、そこにあるのは薄っぺらい受け身の姿勢だけで、本当の癒しとは程遠いものになっているのだと、「ブームの火付け人」である上田紀行さんは指摘しておられます。その視点から、「かけがえのない私」とは何なのか、聞かせて頂きましょう。

No.94 ご法座にお参りしよう!(2005年4月23日)

4月のご法座では、中庭に咲いた梅の花で、お花見をさせてもらいました。お花見って、その場に参加しながら、お互いが同じ空気、香り、雰囲気を感じながら語り合うところに、楽しさがあるように思うのですね。そんなことを通して、ご法座の意味について考えてみたいと思います。

No.93 もったいない!(2005年4月23日)

ケニアのノーベル賞受賞者、ワンガリ・マータイさんは、日本の言葉「勿体ない」に感動して、国連で「Mottainai!」を唱和したそうです。あらためて、「もったいない」という言葉について考えてみたいと思います。

No.92 雪遊び大好き!!(2005年3月7日)

「雪が降ると、また大変やなあ。弱ったなあ。」

「雪が降って良かったなあ。嬉しいなあ。」

雪は無心に降りますが、それを見ている私は、自分の都合で喜んだり悲しんだり。そんな出来事から、正信偈のお言葉を味わってみたいと思います。

No.91 お寺って何?(2005年3月7日)

京都は研修会でよく訪れますが、観光旅行でお出かけしたのは久しぶりです。

清水寺、銀閣寺、竜安寺、それに何と言っても西本願寺。

そんな旅行で感じたことを少し書いてみました。

No.90 彼あるが故に我あり(2005年1月15日)

12月の初旬、何と、かみさんがアキレス腱を切ってしまいました!!

入院、手術、看病、それに家事、子どもの世話・・・。

いろんな事を通して、「縁起」の教えについて聞かせて頂きます。

No.89 困ったときはお互い様(2005年1月15日)

高山を襲った、台風23号の豪雨災害は、想像以上にすごいものがありました。

また、引き続いて、新潟県上越地方では、大きな地震によって大変な被害が出ています。

様々な出来事を通して、「困ったときはお互い様」の気持ちを新たにしたことです。